第35章

酒井初音は刺繍枠の前に背筋を伸ばして座り、静かな面持ちのまま、針先を疾風のように布の間へ走らせていた。

背後から近づく田中美咲の気配には、気づかない。――いや、気づく必要すらないとでも言うように。

だが、肥えた体躯が射し込む光をふっと遮った、その瞬間。

「酒井初音、危ない!」

久世悠真は目ざとかった。田中美咲の手に、ぎらりと光る刃を見つけ、迷いなく声を上げる。

酒井初音がふと目を上げる。視線は久世悠真をかすめただけで、少女の瞳の色は一分も揺れない。

刺繍布を持ち上げると、身を翻し――氷片のように冷えた低い声を落とした。

「三村正明」

次の瞬間、黒い影が田中美咲の喉元を鷲掴みに...

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